Who is Shakespeare?

シェイクスピアとは、一体どのような人物であったのだろう。背の高い人物であったか、それとも低かったか、ふっくらとしていたのか、痩せていたのか、髪の毛が豊かであったか、そうでなかったか―。

シェイクスピアについての記述

シェイクスピアがどのような外見であったのかを示す記述は見つかっておらず、現代まで伝わる肖像画もそれぞれ違った雰囲気の男性を描いている。ファースト・フォリオの扉に描かれている肖像が有名であるために、髪が薄く、少々ふっくらしているイメージが強いかもしれない。耳にピアスをつけて、ミステリアスな瞳でこちらを見つめる肖像画も知られている。

外見だけではなく、どのように生きた人物であるかについても、その殆どが謎に包まれている。公的な文書や上演の記録などから、辛うじてどこで活動していたのか解る程度であり、足跡が全く掴めない期間もある。

特に1585年から1592年の7年間は、ロスト・イヤーズと呼ばれており、全く記録が残っていない。ストラットフォードでぷっつりと消えてしまったシェイクスピアの影は、1592年になってから別の劇作家が書いた批判の中に現れる。ユニバーシティー・ウィッツのひとり、ロバート・グリーンが晩年に書いたパンフレット『三文の知恵 (the Groatsworth of Wit)』(1592)が次のように攻撃している。

それというのも、成り上がり者のカラスがいるのだ。そのカラスは、我々の羽根で美しく身を飾り、虎の心を役者の皮で包んで、貴方がたの誰にも劣らぬ無韻詩を紡ぎ得ると慢心している。それに、驚くべき器用貧乏で、自分こそがこの国の舞台を揺り動かせる唯一の存在だと過大評価している。

ここで言及されている「虎の心」のくだりは、『ヘンリー六世第三部』1幕4場に登場する「女の皮に包まれた虎の心」(Oh tiger’s heart wrapp’d in a woman’s hide!)や『ロミオとジュリエット』3幕2場におけるジュリエットの「花のお顔に蛇の心が潜んでいたとは」(O serpent heart, hid with a flowering face)という嘆きなどをもじったもの演劇界で頭角を現していたと考えてよい。その驚異的に多い語彙から、一部では同時代の劇作家でケンブリッジ大学を出ているクリストファー・マーローや、宮廷人フランシス・ベーコンだったのではないかという説も囁かれている。

シェイクスピアの才能は劇作だけに留まらない。劇団の株を保有していたり、新しい家の購入や、生まれた家を宿泊可能なパブとして改装するなど、商業的な才能も持ち合わせていた。

シェイクスピアが生きた時代

そのシェイクスピアが生きたのは、英国の歴史の中でも最も偉大な文化を生み出した時代のひとつ。重要な出来事がいくつも起こっている。

エリザベス1世 (1558-1603) は、1587年にはスコットランド女王メアリーを処刑する。また、1588年にスペイン艦隊を撃破し、英国海軍の力と商業の勢いを西ヨーロッパ諸国に見せ付けた。父親のヘンリー8世によって設立された英国国教会をより確固たるものにするなど、女王として数々の功績をあげる中で、英国の地位も確立されていった。

17世紀に入ってからの主な事件は1601年に起こったエセックスの乱、1603年にエリザベス1世の死去に伴って行われた、ジェームズ1世の戴冠、1605年のガンパウダー・プロットなどである。

シェイクスピア略歴

  • 1564年

    ウィリアム・シェイクスピア、ストラットフォード・アポン・エイボンに生まれる。手袋職人ジョン・シェイクスピアと裕福な農家の娘メアリー・アーデンの3人目の子供である。4月26日にホーリー・トリニティー教会にて洗礼を受ける。
  •  

    この年、7月に広まった疫病により、ストラットフォードの人口の1割以上が死亡した。
  • 1566年

    チャールズ・ジェームズ・ステュアート、後のスコットランド王ジェームズ6世・イングランド王誕生。
  • 1567年

    スコットランド女王メアリーの2番目の夫であり、チャールズ・ジェームズ・ステュアートの父であるダーンリー卿ヘンリー・ステュアートが謎の死を遂げる。彼はスコットランド王ジェームズ2世とイングランド王ヘンリー8世の血を受け継いでいる。
    スコットランド女王メアリー廃位、息子であるジェームズ6世が王位につく。
  • 1568年

    ストラットフォード・アポン・エイボンに初めて旅劇団がやってくる。
  • 1569年

    シェイクスピアがぺティー・スクールに入る年齢に達する。このころの英国では、通常4歳か5歳になると通った。(但し、田舎の村の場合には学校までの距離の問題から、6歳か7歳になるまでぺティー・スクールに通わなかったようである。)ぺティー・スクーは子供達に簡単な読み書きなどを教える場所だった。
  • 1572年

    シェイクスピアがグラマー・スクールに入学する年齢になる。
  • 1576年

    シアター座オープン。
  • 1577年

    カーテン座オープン。
    フランシス・ドレイク、ゴールデン・ハインド号で世界一周に旅立つ。(1580年帰還)
  • 1579年

    シェイクスピアが学校を卒業する年齢に達する。
  • 1582年

    シェイクスピアがアン・ハサウェイと結婚。
  • 1583年

    娘スザンナが生まれ、5月26日に洗礼を受ける。
  • 1585年

    ハムレットとジュディスという双子を授かる。2月2日に洗礼。
  • 1587年

    クイーンズ・メンがストラットフォード・アポン・エイボンにやってくる。
    ローズ座がオープン。
    クリストファー・マーローの『タンバレイン大王』初演。
    スコットランド女王メアリーの処刑。
  • 1588年

    スペイン無敵艦隊艦隊撃破。
    トマス・キッドの『スペインの悲劇』初演。
  • 1590年

    エドモンド・スペンサー『妖精の女王』第1巻出版。
  • 1591年

    クリストファー・マーロー『フォースタス博士』初演。
  • 1592年

    ロバート・グリーンによって書かれた本の中で、シェイクスピアへの批判と思われる文章が掲載される。
  •  

    クリストファー・マーロ―が殺害される。
  • 1594年

    宮内大臣一座がハンズドン卿ヘンリー・ケアリーをパトロンとして組織される。当時の劇団の中では最も規模が大きかった。シェイクスピアはここに小屋付きの劇作家、株主、役者として参加。
  •  

    演劇をはじめとする芸術の保護者であり、強い王位継承権を持っていたダービー伯フェルディナンド・スタンリーがランカシャーの邸宅で毒殺される。
  • 1594年

    スワン座オープン。
  • 1596年

    このころ、シェイクスピアがロンドンのビショップスゲートに住んでいたことを示す記録がある。
  •  

    エドモンド・スペンサー『妖精の女王』第2巻出版。
  • 1596年

    ハムネット死亡。
    シェイクスピア家にcoat of armsが与えられる。
  • 1597年

    ストラットフォード・アポン・エイボンに家を買う。現在「ニュープレイス」と呼ばれている場所である。
  • 1598年

    ベン・ジョンソン『癖者ぞろい』執筆。
    スコットランド王ジェームズ6世『自由なる君主国の真の法』発表、王権神授説を唱えた。
  • 1599年

    グローブ座オープン。
    エドモンド・スペンサー『妖精の女王』未完のまま死去。
  •  

    このころ、シェイクスピアがロンドンのサザークに住んでいたことを示す記録がある。
  • 1600年

    フォーチュン座オープン。
    東インド会社設立。
  • 1601年

    シェイクスピアの父親ジョン死去。
    エセックスの乱。
  • 1603年

    エリザベス1世死去、ジェームズ1世即位。
    ジェームズ1世が宮内大臣一座のパトロンとなったため、一座が国王一座となる。
    疫病により、約1年の劇場閉鎖。
    初代ユニオン・フラッグの制定、新しい硬貨「ユナイト」をスコットランド、イングランドの両国で発行。
  • 1604年

    このころシェイクスピアがセント・ポール大聖堂の近く、クリップルゲートに住んでいたことを示す記録がある。
  •  

    ジェームズ一世、スペインとの戦争を終結させる。
  • 1605年

    ガンパウダー・プロット。
    ベン・ジョンソン『ヴォルポーネ』執筆。
    ベン・ジョンソン『黒の仮面劇』アン女王主演で宮廷にて初演。
  • 1608年

    国王一座、ブラックフライアーズ座での興業を始める。
  •  

    シェイクスピアの母親メアリー・アーデン死去。
  • 1610年

    ベン・ジョンソン『錬金術師』執筆。
  • 1611年

    欽定訳聖書出版。
  • 1613年

    シェイクスピア、ブラックフライアーズの昔の聖ドミニコ会の小修道院のゲートハウスを購入。
  •  

    グローブ座焼失。
  • 1614年

    グローブ座再建。
    ホープ座オープン。
  • 1616年

    ジュディス、トマス・クイニ―と結婚。
    シェイクスピア、帰郷。同年に死去。